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自動車部練習場立看板
昭和35年 見積り額 5,000円のところ3,500円にて発注
我々の手で作った練習場全景。昭和35年
当時工学部西北角に部の活動場所をもらい、
コース、部室等を作る。
中央左奥に部室。
所有車は、トヨペット・スーパー、ダットサンだけだった。
その後、ダットサンスポーツ、シボレー等を購入した。
練習コース
全体として楕円形でその中にS字カーブ等のコースをデザイン。
この時の部は大きくはなかった。
中央の建物は広大女子寮「山中寮」である
部員の一部
井上、加藤、河合、倉本、灰山、村上他
部室前 1
当時は広大生だけでなく、一般人、他大学生等の指導をして
部費の調達をせざるを得ず、夏休みは指導員をやっていた。
この女性は、広島女子短大の頃末千鶴さん。
他広島女学院大学の・l野まゆみさん、
本通り虎やの若旦那・・・等を思い出す。
因みにこの車は小生(倉本)の自家用車。卒業時部に寄付。
部室内部。
壁には日産から貰ってきたポスターを貼り、全員勉強したものだ。
部室内部 2
壁には部員名簿、本年度部車購入車種、指導料等を貼っていた。 会計は小生の担当であった。
収入源として運転指導、 ダンスパーティー等を主催していた。
テープは小生宅で録音していた。
コース使用料(30分)軽自動車50円、小型自動車100円。
トヨペット・スーパー 54年製(前方)。
この車は部創立時からの車で、いわば部のマスコットであった。
最初は青、次に黒を塗り、この時は白と赤のツートンカラー。
部の車と言えばみんなすぐこれを思い出す。
1960年11月3日 大学祭
広大本部正門前 自動車ショーの横幕は小生と灰山とで一生懸命書いたものだ。 当時の新車の展示とラリーを行った。
展示した車
トヨペット・ニュー・コロナ。
日産ではダットサンに変わり初めてブルーバードが登場した。
ヒルマン・ミンクス
~自動車部 道後山自動車登坂挑戦~
道後山の日の出を背景に 昭和35年7月28日~29日
トヨペット・スパーを使用して ホアーでは登りきれず、バックで登坂した所もあった。
道後山自動車登坂挑戦。
夕方到着~フラッシュを焚いて撮る。後ろは道後山の筈である。
道後山自動車登坂挑戦メンバー
5名にて挙行。松本・杉山・宮西・灰山・倉本
この他、真冬の中国地方一周不眠連続運転訓練・遠征は北海道、オーストラリア等を行った。